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1 自己決定権の喪失

高齢者問題といえば、すぐ頭に浮かぶのが、認知症、騙されて買い物をさせられてしまった消費者被害、老人施設、そして成年後見制度といった言葉です。

アルツハイマー型、脳血管障害型あるいはレビー小体型認知症によって認識・判断能力が低下したお年寄りを、日常生活と財産管理の両面からどのように守って差し上げることが出来るか、これが高齢者問題のテーマです。

いろいろな角度から高齢者問題を捉えることができますが、ここでは自己決定権の喪失と引き換えに得られる見守りの世界という視点から考えてみます。

自分の日常生活や自分の財産については、全て自分の意思で決められるという自己決定権があってこそ、人は人間としての尊厳を保つことができます。

しかし、強度の認知症が原因で成年後見人がつきますと、ご本人の財産管理権は一切なくなり、成年後見人と裁判所の判断に委ねられます。

また自宅で今まで通りに生活することは、ご本人の安全と健康にとって好ましくないと周りの人達から判断されれば、ご本人がどれ程嫌がっても、あの手この手で老人施設へ入所させざるを得なくなります。

老人施設での生活は、ご本人の健康と安全の観点から施設内のルールに従って管理され、完全に見守られた生活となります。

ご本人は、日常生活における我が身の始末から財産管理にいたるまで基本的な自己決定権を失って、全てが他人に委ねられ、その見返りとして成年後見人や施設の職員の方々から見守られた安全と健康を手に入れることになります。

2 外の世界と交信することを願った認知症高齢者

他者と交信することが生き甲斐だったご老人のご紹介をします。

有料老人ホームに入所している男性に認知症が始まり、自分の携帯電話でところ構わず迷惑電話をするようになりました。深夜に110番、119番に電話をかけまくるのです。施設の職員さんはたまったものではありません。

深夜突然パトカーがやってくる、消防自動車がやってくる、その都度施設の職員さんは大わらわの対応を余儀なくされ、三拝九拝してやって来た警察、消防にお引き取り願いました。

しかし職員さんの苦労はそれにとどまりませんでした。入居者がいじめられているのでパトカーがやってきた、管理が悪く失火があったから消防自動車が飛んできた等々、近隣からはあらぬ噂を立てられ施設は大迷惑したのです。

当のご本人の暴走振りはそれだけではありません。携帯電話からでたらめな電話番号をプッシュして電話口にでた見知らぬ人と一方的な会話を楽しみ、最後に、自分の入所施設と名前を名乗って電話を切るという迷惑行為を繰り返したのです。

不審な電話をもらった被害者の方は不安と怒りで施設に抗議の電話をしてきました。またまた施設の職員さんは平身低頭、事情を説明して謝り通し、何とか事を納めましたが、同様の抗議電話が何本も来るのですから頭を抱えてしまったのです。

このような有様ですので、当のご本人の自由な携帯電話利用を、とてもそのまま放置する訳にはいきません。施設と家族が協議し、特定の数カ所以外にはかからない携帯電話を渡して、ご本人の携帯電話を取り上げることに衆議一決、その説得が必要となりました。

ところがご本人から、次のような反論が述べられ、思わず考え込まされてしまいました。

ご本人曰く、
「この施設はボケ老人ばかりで満足な話し相手が誰一人いない。携帯電話で外の人と話をするのが唯一、まともな人と会話できる機会で、私が人間らしい気持ちになれる時なんです。人と会話のできない生活はまともな人間には耐えられません。それなのに私から携帯電話を取り上げるのは人権侵害ではないか。」
という誠に立派な抗議でした。

ご本人に自覚がないとはいえ、人と人との会話が人間らしい生活の根幹を成していることを実に見事に言い表しています。

3 老いの支度

誰しもが自己決定権を喪失して人生の終末を迎える訳ではありませんが、しかし、ご自分の心身の衰えに備え、早めに必要な手だてを講じておくことも大切です。

(1) 適切に物事を判断できる間

ア 任意後見契約

判断能力が次に述べる(2)の程度まで衰えた場合に備えて、生活、療養看護及び財産の管理に関し、予め自分の意中の人に、自分の希望する事務を委任しておく契約です。

この契約を締結しておけば、財産の管理処分が自分自身で適切に行うことができなくなった時に、誰が成年後見人に選任されるか、どの範囲の事務を行ってもらえるのかなど、あなたの希望を十分に反映させることができます。

なおこの任意後見契約は公正証書で行う必要があります。

イ 見守り契約

まだ自分で財産管理ができると思いたくても、健康や体力の衰え、ひとり暮らしの不安などから自信が持てなくなっている場合があります。そのような場合は常に利用できる助言や手伝いが身近に欲しいものです。

また自分の健康等を含め日常生活にもちあがる不安や心配を気軽に相談できて、いつも自分を見守り手助けしてくれるところがあると安心です。

見守り契約はこのような趣旨を実現するために結ぶ契約です。

(2) 財産管理に関する判断能力が衰えたとき

任意後見契約を締結した後、ご本人の判断能力が衰え、「日常的に必要な買い物も自分ではできずに、誰かに代わってやってもらう必要があるという程度」になったとき、家庭裁判所に申し立てて、任意後見監督人を選任してもらいます。

この選任と同時に、予めご自分が指定していた任意後見人があなたの生活、療養看護及び財産の管理に関し、あなたが予め指定した委任事務を行ってくれます。任意後見契約がされていなければ、申し立てによって家庭裁判所に成年後見人を選任してもらうことになります。

この場合、家庭裁判所が誰を成年後見人に選任するか、その成年後見人によって如何なることをどのようにやってもらえるかなどは法律と家庭裁判所の判断で決まり、あなたの意思や希望が直接反映されることはありません。ですから任意後見契約を結んでおくことが望ましいのです。

(3) 死後のことについて

死後の財産関係については予め公正証書遺言を作成しておくことをお勧めします。このことと関連して尊厳死の実現、延命治療の拒否、献体の希望など、財産問題とは別の最終意思表明問題があります。

財産問題にとどまらないこのようなあなたの最終意思表明は、後に残った家族やあなたの最後を看取る医療関係者が判断に迷わないよう、具体的で明確な内容の書面に書き残しておく必要があります。

4 お年寄りとの交流の心得

お年寄りの立場に立って話し相手になったり、相談に乗るには、老人の心理と体調に対する理解が必要です。これはあくまでも一般論ですが、人は歳を取るに従い、思いこみ、こだわり、好き嫌いの極端化が進み、疲れやすくて、怒りっぽくなりがちです。

また喜怒哀楽が極端になったり、信頼と猜疑心が入り交じることもあります。

従いまして相談に乗ったり話し相手になる人が、戸惑ったり、不愉快になったり、時には怒りたくなることも稀ではありません。しかし、こちらの精神状態までもがこのように不安定となってしまったのでは、お年寄りの望むコミュニケーションは到底成り立ちません。

お年寄りと上手にコミュニケーションをとるには、世話を焼かれる人と世話を焼く人という優劣関係を持ち込まず、プライドを尊重し、どこまでも忍耐強く、丁寧、誠実で、明るく向き合うことのできるキャラクターが必要です。

5 認知症高齢者をお世話する家族の大変さ

認知症の進んだ老人の生活のお世話をすることは実に大変です。放っておくとご本人の生活がメチャクチャになります。火の不始末の心配などは絶えず恐怖の種です。

ゴミ出しに出て家に帰れなくなり、道ばたでしゃがみ込んだまま動かないお婆さんを、近所の人が何度も家まで送ってくれたなどという話も珍しくありません。

家族にとってもご近所にとっても放っておけない一大事です。

それでは、いよいよ施設に入ってもらおうとなりますが、ここで二つの大障害が現れます。

まず第1の障害は、当のご本人が絶対に嫌がり、自分はまだ大丈夫だと言い張ることです。無理して施設に入ってもらおうとすると怒りだし、果ては自分の財産を狙っていると周囲に言いふらし、入所の世話を焼いた家族はとんだ迷惑を受けます。

ご本人からすれば、施設に入れられてしまうのは、自由な日常生活からの体のいい隔離としか受け取れませんから、嫌がり抵抗するのは無理もありません。

第2の障害は、日頃、認知症高齢者の身近にいないので何の苦労もしていなければ実情もわかっていない兄弟姉妹や親戚からの、親を施設に入れるとは何事だ、とんでもない薄情者、親不孝者などといった心ない非難です。

文句を言うなら自分で親の面倒を見てみろ、と言い返してやりたいところです。

以上の二つの障害を乗り越えて初めて施設入所が実現します。ですが、それでもまだ終わりではありません。入所した直後は家に帰りたがり、怒ったり泣いたり大騒ぎすることがあります。

中には施設から脱走して、迷子になるようなお年寄りも珍しくありません。もっとも施設でもそのあたりは心得ていて、入所者を上手に施設での生活に馴染むようにもっていってくれます。

このような施設入所前後の混乱期を過ぎて、初めて一息付ける平穏が訪れます。認知症の始まった高齢者をかかえる親族の方々のご苦労は言葉に尽くせません。